作家の青木奈緖さんは、幸田露伴のひ孫、幸田文の孫にあたり、なんと4代続くもの書きという一家。けれど「生まれつきのもの書きなんていません」という青木さんは、大学卒業後、オーストリア政府奨学金を得て、ウィーンへ留学。足かけ12年間、ドイツとオーストリアに滞在し、翻訳者として自活。帰国後エッセイストとしてデビュー、現在は作家として、またNHK放送用語委員会委員としても活躍しています。

作家・青木奈緖さん
作家・青木奈緖さん

そんな青木さんが生い立ちに立ち返り、日々の暮らしの中で、自然と身につけていた、幸田家につたわる「ことば」から、その根底に流れる生き方や心持ちについて見つめ直した本が『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』です。

幸田家につたわる「ことば」

今ではほとんど使われないことばが多いけれど、真意を知っていると元気になれたり、身が引き締まる思いになったり、おもしろい言い回しが詰まっているこの本。その一部を引用してご紹介します!

作家・青木奈緖さんと著書『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』
作家・青木奈緖さんと著書『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』

■一寸三針五分ひと針【いっすんみはりごぶひとはり】

目的にかなっていれば、丁寧が最上とは限らない。手早くすませ、そこから生まれる余裕に助けられることもある。幸田露伴の母・猷のことば。(『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』より)

このことばは、普段着の着物を縫う際に、やたら時間をかけて細かく縫うのではなく、実用に耐える強度があれば荒い針目も構わない。今と違って女性の日常が家事に忙殺されていた明治のころ、一日をいかに効率よく過ごすか、物事の本質を見きわめよと言っているのです。

“家事というものはずるずるしていれば際限なく手がかかり、滞らせればたちまち反乱して家の中に支障が出る。それゆえ、こちらが家事に追い回されるなどもってのほか、逆にこちらから追いかけるようにして、最も手早く、効果的にひと通りをすませ、あとはひとときでもいいから、家事をする者もゆったり好きなことをする時間を持たねばならないと説いている。” (『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』より)

何事にもベストを尽くすのが最高ですが、丁寧に時間をかけ過ぎて、別のことが滞っては意味がありません。これって、家事だけではなく仕事にもいえることですよね。筆者も耳が痛くなりましたが、心に留めておきたい言葉だと思いました。

ご自宅でくつろぐ作家・青木奈緖さん
ご自宅でくつろぐ作家・青木奈緖さん

■欲と道連れ【よくとみちづれ】

自分の分相応を知ったうえで、わき起こる欲を抱え、前を向いて歩くのが人生。欲に振り回されるのは愚かだが、欲がなくなったら人は終わり。(『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』より)

“いくら欲しいと願っても、人ひとりで持てる量は限られている。それでも欲と道連れに前を向いて歩くのが人生だ、と。” (『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』より)

誰にでも欲は必ずあるという前提で、自分が欲とどう付き合っていくのか、一歩引いて俯瞰することができれば、おのずと自分の分相応と不相応との見極めがつく、と私たちに教えてくれます。

ご自宅で本を読む作家・青木奈緖さん
ご自宅で本を読む作家・青木奈緖さん

明治から昭和の激動の時代、幸田家の暮らしに根づいたことばたち、その折り合いのつけ方は、現代を生きる私たちの心にも響いてきます。


素敵な挨拶状をつづる合理的な方法−−自分らしい言い回しのつくりかた

お礼状やお祝い、おくやみなど、挨拶状というのはある程度の定型がありながらも、季節やその人らしさを織り込まないと気持ちがこもって見えないという、やっかいな存在。

作家・青木奈緖さん
作家・青木奈緖さん

青木奈緖さんの担当編集者が気持ちを伝えることばに感動したのが、青木さんからのメールの文末にあった、つい書きがちな「ご自愛ください」ではなく、「ご機嫌よくいらっしゃいますように」ということば。相手をおもんばかりつつ、余韻があって、心に残ることばですよね。

この文末ことばのような「自分らしい言い回し」はどうやったらできるのか、青木さんに教えてもらいました!

ご自宅でインタビューに応じる青木奈緖さん
ご自宅でインタビューに応じる青木奈緖さん

自分が書いたものの蓄積がいちばん役立つ

ご自身のことを「面倒くさがり」という青木さんは、挨拶状を手書きする前の下書きを、パソコンに全部保管してあるのだそう。そのずらりと並んだ礼状のファイルというのが、とても役にたつのだとか。

「礼状や冠婚葬祭、込み入った内容のお手紙は苦労して書きますよね。その苦労を、一度きりで無にしてしまうのはもったいないと思うんです。あのときは、〇〇さんに何をどう書いたっけ、なんて参照できるから、とても役にたつんです。時候の挨拶なんか、桜が咲いたり、若葉のころになったり、ぐるぐるめぐっているんですけどね(笑)。人からいただいたもので、気になる表現があったりすると、礼状ファイルに足したりもしています。ウェブに載っている挨拶状の例文を参考にするのもいいですけれど、自分に蓄積があって見返すことができれば、少しずつアレンジも加えられます。毎回ゼロから考えなくてもいいと思うんです」(青木さん)

青木奈緒著、小学館刊『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』
青木奈緒著、小学館刊『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』

意外にも、合理的な方法で「自分らしい言い回し」を管理していた青木さん。この柔軟性も、幸田家の教えにかなっているのかもしれません。


「美しさ」はことば次第

素敵な大人の女性になるためには、見た目だけではなく内面の美しさも…とよく言われますが、「内面の美しさ」ってなんでしょう。

心根のよさ、豊かな教養、深い知識など、いろいろなものをひっくるめて「内面」と言えますが、その「美しさ」が人に伝わるのは「ことば」次第。

何気なく使うことばは、相手に良い印象も悪い印象も与えることができる両刃の剣。素敵な大人の女性は、みんな自分のことばを持っています。私たちが、豊かなことばを身につけるためには?

STEP1:自分の中にあることばを探す

作家・青木奈緖さん
作家・青木奈緖さん

「家族の中でどんなことばが使われてきただろう、と見直してみること。誰にも思い出深いことばや、心に留めておきたい大切なことばがあるはずです。人は必ずことばを使って生きているけれど、その数は膨大で、いつのまにか記憶から抜け落ちてしまうことばも多いものです。

たとえば家族の誰かの口癖を子どものころに聞き覚えていて、大人になってふとした拍子にその意味を知るなんて経験、ありませんか? なぜその人はそのことばを口癖にしていたのか。たったひと言から思い出すことも多いんです。おばあちゃんがあんなこと言ってたな、とか、みんなで笑った思い出とか。そんな家族の情景とともに思い出す、今の自分を育ててくれたことばを大切にしないともったいないと思いますね。

急に言われても、そんなのない、と思う人のほうが多いと思いますが、ぜったいにあるはず。家族でなくても、恩師とか、友人とか」(青木さん)

STEP2:ことばを聞き逃さない

作家・青木奈緖さんインタビュー写真
作家・青木奈緖さんインタビュー写真

「誰かと話していて、このことばは素敵だなって思うこともあります。そのときに、聞き逃さないようにアンテナを張っておくのも、大事なことですね。そういった、ことばの蓄積を多くしておくことは、損にはなりません。著書内にある『ことばの手置きをよくしておく』というのも、いざというときに、ふさわしいことばがちゃんと出てくる状態にしておくことが大切、ということです」(青木さん)

STEP3:使ってみたいことばはまず意味を調べて、躊躇せず使う

「一度は辞書でちゃんと調べて、あとは使っている間に語感が養われます。初めは、とんちんかんな使い方をするかもしれないけれど、使っているうちにしっくりくるはず」(青木さん)

にこやかにインタビューに応じる作家・青木奈緖さん
にこやかにインタビューに応じる作家・青木奈緖さん

自分のルーツとなることばを探す、ことばに対して敏感にアンテナを張っておく、そして実際に使ってみる。そうして自分の中にことばを蓄積していく。

使わないと忘れてしまうのがことば。日ごろの生活の中で、自分の発することばに意識を向けていくことで、少しづつことばが豊かな女性に近づけそうです。

『幸田家のことば 知る知らぬの種をまく』
著/青木奈緖 発行/小学館 ¥1,500(税別)
「心ゆかせ」「ぞんざい丁寧」「猫根性」「桂馬筋」「人には運命を踏んで立つ力があるものだ」……幸田家のことば40語に込められた生きる道理をひもとく本書は、家族とともにあることばが自分にとって大切な財産と気づかされる心に響く一冊です。
小学館 楽天ブックス Amazon
この記事の執筆者
東京・小石川生まれ。大学卒業後、オーストリア政府奨学金を得てウィーンへ留学し、足かけ12年ドイツに滞在。1998年に帰国して『ハリネズミの道』でエッセイストとしてデビュー。『動くとき、動くもの』、『幸田家のきもの』、小説『風はこぶ』や絵本の翻訳『リトル・ポーラベア』シリーズなどの著書を持つ。幸田露伴は母方の曾祖父、幸田文は祖母にあたる。 好きなもの:寝ること、食べること、猫、犬、植物、読書、オペレッタ、戦前のドイツ映画、歌舞伎、三味線、きもの、料理、お茶、家でゆっくりすること 撮影/五十嵐美弥(人物)
クレジット :
撮影/大畑陽子 構成/安念美和子